産業保健活動の費用便益分析−職域における高血圧管理の費用便益分析−
調査研究課題名
産業保健活動の費用便益分析
−職域における高血圧管理の費用便益分析−
研究代表者
馬場 快彦(福岡産業保健推進センター所長)
共同研究者
池田 正人(産業医科大学産業保健経済学)
池田 正春(産業医科大学健康開発科学)
1.はじめに

 近年「健康づくり」ということが、地域においても、事業場においても、さかんに取り上げられてきた。
 1988年の労働安全衛生法の改正を機として企業における健康づくりは「THP」という形で取り入れられてきた。その取り組みも事業場毎に様々であり、また、その効果も一定していないようである。特に中小規模の事業場においては、その取り組みが遅れている。労働省がTHPの推進をスタートしたときもその効果は学問的に十分期待できるものであったはずで、その後追いの形になるのであるが、今回健康づくり(THP)の評価を試みた。THPが十分その機能を発揮すれば、成人病のリスクファクターの軽減、運動能力の向上、ストレスのコントロール等々、健康事象全面に関係することは首肯できる。効果が多面にわたるだけに、かえって評価が困雑となっている側面もある。例えば、健康状態が向上したので、従業員の欠勤率が下がったとする。しかし、欠勤率を下げるための試みは健康づくり・THPのみでなく、企業の労務管理のアクティビティとして大きく取り上げられているはずである。どちらの効果であったのかを判定するのは容易でない。すなわち、できるだけ客観的評価ができる形のものに限定しなければ正しい評価にならない。
もう一つの点は、THPの基本は「ライフスタイルの改善」にあると考えられる。この事は、学校教育における教育の成果、禁煙教育における成果、そして、アルコール依存の人達の減酒教育と同じように一定のサービスを提供したからといって、一定の成果が得られるものでない。サービス(教育)を与えるスタッフの力量、提供の方法、また、それを受ける側の資質・動機の問題が関係するということである。健康づくり活動の成果が現れたり、現れなかったりするということがある。
経済学的評価の大きな役割は、企業あるいは事業場において、健康づくりを考慮した産業保健活動を導入するかどうかの決定を行う際の資料となるというところにある。

 そこで我々は、
  • 現在は毎年の定期健診を行っている
  • しかし、特に「健康づくり」運動に取り組んでいない。
という状況のもとで、一つの産業保健活動プログラムを提案して、それを評価するという形をとった。
表1.に示すように、THPの一つのオプションであるが大きく変わる点は教室の形をとっていることである。この点は多くの産業保健活動が全労働者を対象に計画されている現状とそぐわない点があるかも知れない。
表1.高血圧又は肥満等をもった人を対象とした健康指導教室の実施計画表

 定 員:30名
 週3回を健康指導教室に当てる
 各人週2回教室に出席、一回はウォーキングを主に自己トレーニングを原則とする
項 目
必要なスタッフ
備 考
1. 健康測定(前)
(含:全身持久力テスト)
医師:1名
保健婦:1名
トレーナー:2名
栄養士:1名
所要時間:1時間/1名
1日5名測定:(実働4時間)
6日間要す
(測定機器:エルゴメーター2台常備)
*予め、栄養関係のアンケート記入済み
であれば栄養指導も実施
2. 運動指導
(定常的な運動指導)
保健婦:1名
トレーナー:1名
1日20名×週3回
(実働4時間)
36日間
3. 栄養指導
栄養士:1名
1ヵ月目と2ヵ月目に各一回ずつ>
(実働4時間)×2回
4. 健康測定(後)
(含:全身持久力テスト)
医師:1名
保健婦:1名
トレーナー:2名
栄養士:1名
所要時間:1時間/1名
1日5名測定:(実働4時間)
6日間要す
(測定機器:エルゴメーター2台常備)
*その後の自主トレーニングに備え
保健指導、栄養指導も実施
*産業医は全体を総括し、適宜トレーニング中も現場に赴くよう努める。

・効果をeffectiveにすること。・健康を保持増進するには個々人のモチベーションが重要であること。・最近の議論の中でも企業が労働者、社員に提供する福利厚生サービスも一律でなく、それぞれの労働者、社員のニーズに合わせてオプションにすればよいというものがある。ある人は健康づくりに、ある人はレクレーションに、ある人は住宅に、という具合にサービスが異なるわけである。と考えると、長所、欠点はあるが一つの選択として企業における教室形式の産業保健活動も考慮されるべきである。
2.方法

 我々のプログラムの評価については、特定の対象集団について、このプログラムを実施して評価するという形をとらないで、我々の今までの研究で得られたデータ、文献により得られるデータ、出版された統計データをもとに評価することとした。評価に必要なデータが得られない場合は評価をペンディングしたり、パラメータを設定して代用した。
表2.評価の視点
INPUT
  • プログラムのコスト
OUTPUT
  • 健康度の改善
  • 医療費(医療保険レセプト)
  • 欠勤率(absenteeism)
  • turn over rate
  • productivity
  • 労働災害発生率の低下
  • 満足度
     Job satisfaction
     雇用主の満足度
     福利厚生に対する満足度
  • 企業イメージ(地域社会における会社のイメージ/競争会社との比較)
a.評価の視点:評価としては、一般には表2.に示すものが考えられる。この産業保健プログラムのinputとしてプログラムのコストを計算し、outputの健康度は血圧の変化で医療費は医療保険レセプトで評価することとした。b.THPの実施状況:労働大臣官房政策調査部編集の労働者健康状況調査報告などを引用した。c.高血圧者の有病率:北九州市にある企業外健診機関に蓄積されたデータベースより年齢階級制、男女別の血圧分布を計算した。d.労働者の健康づくりへ対するニーズ:労働大臣官房政策調査部編集の労働者健康状況調査報告などを引用した。e.プログラムの健康度に関する効果:北九州市「健康へのパスポート事業」事業報告書をベースにその他文献により、血圧の改善の効果を推定した。f.プログラムの医療費に関する評価:「福岡県田川市の健康づくり事業の効果について」という同市の健康増進教室の専門スタッフの報告をベースに考察した。g.プログラムのコスト:表1.に示しているスタッフ及び活動をもとにコストを算出した。
3.結果と考察

 その主たる結果を表3.に示す。血圧に関しては収縮期で約20mmHg、拡張期で約10mmHgの降下を示した。また注目すべきは血圧の正常な(肥満のみ)人達に関しては変化は殆どないことである。
 一方、BMIに関しては肥満、非肥満にかかわらず有意に下がっている。福岡県田川市の運動教室は対象を健康人、あるいは半健康人(肥満、高血圧、高脂血症の人)とし、1990年と1991年の2年間の再審査申し立て確定レセプトを集計し、健康教室完了群と非受講者の群の診療日数と診療点数を比較した。これによると診療日数では2群に有意な差は観察されないが、診療点数では平均38404点の差があり、1年間にすると健康教室完了者は1人当たり約19000点の保険点数の減少となっている。プログラムの費用は、一人当たリ49000円と推定された。
 これらの結果は、平均的なものより良い結果と考えられる。その理由は、対象者を運動教室の最も効果の表れやすい人達(高血圧境界領域)に設定していること、教室の形をとることにより教育の効果を高めたことが考えられる。
表3.肥満度・血圧別でみた運動プログラムの効果
項 目
肥満+高血圧
(n=39)
肥満+正常血圧
(n=30)
非肥満+高血圧
(n=22)

BMI(kg/m2)
29.4±2.2
28.4±2.2 *
30.2±2.1
29.2±2.2 *
24.4±1.2
23.9±1.3 #
収縮期血圧(mmHg)
155±12
135±13 *
124±9
123±12
156±13
137±32 *
拡張期血圧(mmHg)
94±9
83±8 *
78±6
76±9
94±9
84±20 #
T-cho(mg/dl)
221±40
215±35
211±40
208±33
216±33
211±36
HDL-cho(mg/dl)
52±15
56±14 *
50±13
53±11 *
54±13
56±10
Triglyceride(mg/dl)
166±109
121±71 #
144±59
121±53 *
156±140
109±68 *
GOT(IU/L)
28±16
24±10 *
25±10
24±9
24±11
23±10
GPT(IU/L)
40±26
30±15 #
32±22
28±16
27±23
21±14 *
γ-GTP(IU/L)
38±37
29±21 *
36±32
31±28
56±92
41±43
Paired t-test(前vs.後) *:P<0.0001 #:P<0.005